ご報告が遅れました。

先日18日の日曜日、サウンドカーニバルが終演しました。そして、同時に、突然でしたが、実母との別れもやってきました。

この場ですが少しだけ母の事をお話しさせて下さい。

去る12月17日(土)午後2時。病室に暖かい木漏れ日が光る中、静かに息を引き取りました。享年81歳でした。13年前にくも膜下出血を患い、約三ヶ月間の意識不明の期間を経て、奇跡の生還。身体に重い障害が残りましたが、ゆっくりと会話もでき、これまで命を繋いできました。全て、父の愛の溢れる毎日の介護のお陰様でした。本当に感謝です。大阪と高砂。距離にして約80㎞、行こうと思えば日帰りでも通えない距離ではありませんが、中々、毎日の忙しさに甘えて、頻繁には見舞うことはできませんでした。今思うと、色々な後悔ばかりがいくつも押し寄せる毎日です。

12月に入り.肺炎で入院、そして16日(金)退院と聞いていたその日の早朝の危篤の連絡でした。それから2日間。サウンドカーニバルの本番も2日後に迫る中、出演者の皆さんとご家族の方々には、本番前に大変、不安とご心配をおかけしました。前日に予定していた教室でのリハーサルは出来ませんでしたが、皆さんの温かい御言葉とお陰様で、母が息を引取る時に病室で見送りが出来た事と、奇跡的にサウンドカーニバル本番の皆さんの演奏にも駆け付ける事が出来ました。母もよく頑張ってくれました。もしかして、旅立ちの日時をちゃんとこんな私の為に考えてくれたのかなぁ、。

突然のお別れは、確かに悲しかったですが、、それ以上に、今までありがとう!これまで何度も何度もありがとう!もう、頑張らなくていいよ、父も家族もみんな、もう、充分に愛を一杯受け取ったからね!どうぞ、安らかにお眠り下さい!と見送りました。

私が今、こうして音楽の道を進めているのも全て母のお陰です。私が幼き頃、決して裕福な生活では無かったのですが、内職をしてピアノを習わせてもらい、音楽大学まで行かせてくれました。感謝しかありません。色々と、私が自由に楽しく人生を送っているのも元をたどれば母のお陰様なのです。確かにみんなそうかも知れません。母が居ないとこの世に生まれてこなかった事になります。母と父が居て私が存在し、また、子供へと命が繋がっていきます。当たり前の事ですが、当たり前の事を深く思い知らされた母の旅立ちでした。母の1番の願いは、、やっぱり子供の幸せに尽きるかと、、母である私の勝手な見解ですが、。 

音楽の道を応援してくれた母に、感謝を込めて、、。ありがとうございました。これからはゆっくりと、ゆっくりと安らかに眠って私を見守っていて下さいね。

歳の数 81本の白いバラの花は会館からのサプライズ!一緒に棺に納めました。


私的なブログを最後までお読みくださり、ありがとうございました。

サウンドカーニバル本番につきましては、次回にご報告致します!みんな、頑張ったよね(o^^o) 数々の温かいメッセージも、ありがとうございました! あっという間に今年もあと残り数日。私もようやく元気に頑張ります!